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台湾石炭博物館 |
台湾石炭博物館は台北県の著名な炭鉱の町、平渓郷にあり、台湾で鉱業の文化を保存する目的で設けられた初めての民間博物館でもあります。2002年に設立されました。
石炭はかつて、重要なエネルギーの供給源の一つとして数えられ、台湾で経済的な奇跡が作り上げられたプロセスの中で重要な役割を果たしていました。台湾における石炭採掘の歴史は350年間を越えています。「お金をたくさんもたらしてくれる黒いものだ」と言う意味から、石炭採掘業は以前、台湾では「黒金」と呼ばれていました。しかし、台湾の石炭層は薄すぎ、地質の構造が複雑で採掘が困難なこと、それに加えて、台湾のWTO・世界貿易機関加盟後、石炭の輸入が自由化されたことから、全盛期には20数ヶ所の炭坑を擁した台北県平渓地区では石炭採掘業が没落し、廃れるようになりました。
しかし、「黒金」の故郷、平渓郷で三代とも、石炭採掘業に従事し、平渓地区で「新平渓石炭公司」を経営していた、龔詠滄さんは、平渓地区の鉱業がこのまま姿を消していくのを見るに忍びなく、1997年に石炭の採掘をやめたあと、「台湾石炭博物館」の設立に積極的に取り組みはじめました。父親の龔詠滄さんから館長の職務を受け継いだ龔俊民は「台湾石炭博物館」を設立した経緯として次のように話しました。
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台湾石炭博物館 |
「台湾石炭博物館の前身、新平渓石炭公司は1997年に石炭の採掘を停止しました。台車など、炭坑で使われていた設備をすべて売却しようかと考えましたが、このような台湾の鉱業の重要な遺産を保存しないと、次の世代はそれを見られなくなると思って、2000年に廃れた新平渓炭鉱を文化創意産業へと、転換しようとしたんです。」
龔俊民さんは見物客に炭坑での作業状況を分からせるため、以前の平渓炭坑の主な坑道と全く同じ大きさの模擬炭坑を作りました。見物客は真っ暗な炭坑の中で、昔、炭坑で石炭を採掘していた炭鉱夫の苦労を体験することができます。台湾石炭博物館は台湾の炭鉱文化を紹介するだけではありません。炭鉱文化のバックグランドは広く、石炭博物館周辺ではたくさんの動植物が生息するなど、生態環境が豊かで、四季にはそれぞれの美しさがあります。龔俊民さんは石炭博物館、及びその四季の美しさを次のように説明しています。
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台湾石炭博物館 |
「台湾石炭博物館には炭鉱全体、及び台湾の石炭採掘業を説明する解説員がいるほか、炭鉱の採掘が停止される前、1996年に公共テレビが取材に来たときに撮った記録映像も見られます。この記録映像を見たあと、見物客は石炭を運ぶ台車に乗って炭坑を実際に参観することができます。片道1.2キロメートル、往復2.4キロメートル。いずれも解説員がついています。ここで見られる機関車は台湾で初めての電気化された動力機関車です。台湾の鉄道の電化は1978年に実現したものですが、われわれの動力機関車は1939年に平渓で稼動しはじめました。そのため、石炭博物館では台湾の炭坑文化を紹介しているほか、鉄道の文化、生態なども紹介しています。春夏秋冬それぞれの美しさがあります。春でしたら、ツツジの花、四月と五月でしたら、アブラギリの真っ白な花、七月と八月はハナシュクシャ、秋はススキの花、台湾石炭博物館にはいろんな側面があったのです。」
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台湾石炭博物館 |
炭鉱町で生まれ育った龔俊民さんは初めて台車に乗って炭坑に入ったとき、大きなショックを受けたといいます。坑内は真っ暗で、斜坑には急勾配があり、炭鉱夫は高さ70センチしかない坑道で石炭を採掘したのです。それを想像すると、その苦労と危険を十分理解することができます。龔俊民・館長にとって最も印象的だったのは小さいころ、夕暮れ時、お母さんと共に炭坑の出口で、台車に乗って退勤するお父さんを待つことでした。しかし、炭鉱夫の顔はみな真っ黒だったので、龔・館長はよくお父さんを見間違えました。
龔・館長は台湾石炭博物館を通じて炭鉱文化の伝承を図ると共に、更に一歩進んで平渓地区の文化と観光資源とを結合して地方の観光業の振興にも力を入れています。平渓地区には著名な「十分」というレトロの町、「十分」という滝、熱気球と同じ原理の「天灯」などの観光資源があります。龔・館長は博物館を主体に、各種の異なる芸術活動を行い、平渓地区の文化観光産業を推進し、この地区全体の繁栄を促そうと努力しています。
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台湾石炭博物館 |
「私は『フラガール』という映画を見たことがあります。常盤炭鉱という炭鉱町を背景に、石炭産業から地域再生を描くこの映画から深い感銘を受けました。文化創意産業に成功すれば、その可能性は無限であることが分かりました。」
(担当:荘麗玲) |