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「偏遠医療宣教歴史見証文化館」と「中元祭祀文物館」 (2008.11.2)

 
     
 

1. 偏遠医療宣教歴史見証文化館

 

 

偏遠医療宣教歴史見証文化館

台湾の中心、南投県埔里鎮にある「偏遠医療宣教歴史見証文化館」は、2005年に開館した台湾で初めての僻地医療の歴史に関する地方文化館です。南投県は台湾で唯一、海に接していない県で、埔里は山に囲まれた盆地です。山を越えれば日月潭などの有名観光地に近い場所ですが、山間に分散している原住民族の集落は交通が不便で、適切な医療や公共衛生の恩恵を受けることができず、原住民族の平均寿命は平地住民に比べて低くなっています。

 

台湾に宣教に来た外国人宣教師たちはこのことに気づき、1955年にアメリカ人宣教師、リリアン・ディクソン博士と台湾の謝緯医師は埔里にキリスト教山地診療所を作りました。南投特産の竹で10の病室と教会堂を作り、ノルウェイ人看護師が加わって、辺鄙な山地住民にも基本的な医療を提供するため、医療宣教活動を開始したのです。

 

(埔里基督教病院の趙文崇・院長のお話)
 

偏遠医療宣教歴史見証文化館

1955年頃非常に重要な役割を演じた人物は、謝緯医師です。彼は長老教会の牧師で、日本とアメリカに留学経験がありました。彼は台湾中央山脈両側の僻地に住む原住民同胞の医療のことを、とても心配していました。終戦後は都会でさえ医療が不足していましたから、ましてや僻地ならなおさらでした。当時台湾全体では10箇所の山地医療施設がありました。そのうち、現在残っているのは埔里基督教病院と、花蓮の門諾病院だけです。この二つの病院は、現在では質の高い現代医療を提供する病院になっています。」
 

1999921に起きた台湾大地震は埔里基督教病院が発展する重要な分水嶺になりました。この震災で救急医療を行っているとき、埔里基督教病院の建物は危険だったにも関わらず、何千何百という重傷者が運び込まれました。そして、台湾各地から寄付された膨大な資源と、エスニックグループの違いなどの垣根を越える愛によって、埔里基督教病院は地震の後、耐震構造の斬新な建物に生まれ変わりました。埔里基督教病院は開設当初は海外からの資金や宗派を超えた宣教団体に頼っていましたが、台湾の人たちの寄付と力によって再度立ち上がったのです。50年間の僻地医療の歴史の中には、感動的な人、こと、ものがたくさんありました。それらの貴重な史料は保存する必要がある、と趙文崇・院長は言います。

 

(埔里基督教病院の趙文崇・院長のお話)

 

2004年に私たちは2006年に行う50周年祝いの準備をしていました。50年という時間はそれほど長くもないが短くもない。でもその間にはたくさんの人がかかわり、たくさんの出来事があったはずです。そこで私たちは病院創設のときからずっと共にあった人やもの、できごとを集めました。高級なものではなく、山地や僻地を奔走してきた現場のもの、僻地の人々と共にあったものこそが、残す価値があるものです。そしてそれが僻地医療宣教の地方文化館になりました。」
 

偏遠医療宣教歴史見証文化館

埔里基督教病院の院史館から発展した「偏遠医療宣教歴史見証文化館」は、僻地医療史を凝縮し、医学の発達した現代では想像もつかないような台湾医療史の現場を証明しています。一階には軍用のトラックのような赤いジープの模型があります。それはディクソン博士が初代埔里基督教病院院長だった謝緯医師への誕生日プレゼントとして贈ったものです。当時は山地部落の救急車として使われていました。これら僻地医療史の中でさまざまな役割を演じた物品は、引退後「偏遠医療宣教歴史見証文化館」の中で、血と涙が入り混じった時代を黙々と追想しているのです。

 

(埔里基督教病院の趙文崇・院長のお話)


 

偏遠医療宣教歴史見証文化館

「ここには非常に古い医療機器が集めてあります。たとえば、ある医師が使っていた顕微鏡です。第二次世界大戦の頃のものなので、今はこのようなものはほとんど残っていません。それから麻酔機も第二次世界大戦の頃のものです。当初、ここにあった一台の救急車は、結婚式にも、貴賓の出迎えにも、霊柩車としても使われました。そして、病院が創立された当時の、竹製の小さな入院病棟も復元してあります。」

 

長年僻地医療に従事してきた趙文崇・院長は小児科のお医者さんです。彼が最も心を痛めているのは、都会の子供だったら簡単に直ってしまうロタウイルス感染で、山地の原住民族の子供たちが尊い命を落としてしまうことです。台湾の医療資源の分配は、いまだに平地に厚く山地に薄い「M型」の不公平な現象があり、いかにこの差を縮めるかが、埔里基督教病院の努力目標です。

 

(埔里基督教病院の趙文崇・院長のお話)

 

「現在貧富の『M型』の問題が言われていますが、医療の『M型』の問題はずっと以前からあります。最も強く印象に残っているのは、ある山地部落の子供がロタウイルスに感染したケースです。ロタウイルスは都会であれば点滴を1日か2日すれば大体完全に回復します。しかし、その子供はずっと下痢をしていて、一日待ってこれはまずいと思い、山を下りたのですが、その途中で引き付けを起こし、埔里基督教病院に着いたときには、もう瞳孔が開いていました。今の時代に、まだロタウイルスで亡くなる子供がいるなんて考えられないことです。僻地では、死ぬはずのない病気でも死んでしまう。もっと早く治療しなければならないことを彼らは知らないのです。悲しいことです。」
 

近年台湾の医療水準と環境は大幅に向上していますが、医療従事者と患者との関係には緊張があり、信頼に欠けています。しかし、あの困窮の時代には、物資はありませんでしたが、限りない愛と献身がありました。「偏遠医療宣教歴史見証文化館」の展示は、患者を家族のように見る医療の模範であり、台湾の現代医療の素養と道徳を高めるのに役立つことでしょう。また、すべてが功利主義的な現代社会に、弱者を思いやる大切さを教えてくれます。

 

「偏遠医療宣教歴史見証文化館」には、1960年代の診療室、薬局、手術室、レントゲン室の模型や、各種の旧式医療機器などが展示されています。「偏遠医療宣教歴史見証文化館」の住所は、南投県埔里鎮鉄山路1号で、埔里基督教病院に併設されています。

開館日は月曜日から金曜日、入場は無料です。

(担当:上野重樹)

 

2. 中元祭祀文物館

 

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