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頼和記念館 |
「頼和記念館」は台湾中部・彰化県彰化市内にあります。同文化館は、彰化県出身で台湾新文学の父と呼ばれる頼和を記念して、1994年に設立されました。台湾文学の世界では、日本統治時代以降の文学を「台湾『新』文学」と呼びます。日本語や植民地統治への抵抗精神といった様々な要素が入り新たな文学の潮流が生まれたため、特にこのような区別をしているのです。
1894年生まれの頼氏は、1943年に亡くなるまでの一生を、日本統治下の台湾で過ごしました。頼氏は、社会運動に参加したり漢文で文学作品を作る事を通して日本の統治に抵抗し、二度投獄されています。
(頼和記念館の執行秘書長・張綵芳さんのお話)
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頼和記念館 |
頼和先生は色々な顔を持っています。彼は、作家であると同時に、人間味あふれる、皆に愛された町のお医者さんでした。高潔で、無料で貧しい人々の治療などに尽くした頼和先生は、人々から、台湾で広く信仰されている神様・馬祖様になぞらえて、「彰化の馬祖様」とあがめられたほどです。作家としての頼和先生は、台湾文学史上欠かすことの出来ない存在です。台湾文学を知ろうとするなら、必ず頼和先生の作品から入る事になります。彼の作品からは、強烈な抵抗精神や、人としての在り方に対する強い想いが表れており、同時に、彼の目を通して見た当時の時代背景や社会状況が随所に描かれています。そして頼和先生は、それらの作品を通して、人々に、台湾の人間である事に目覚め、台湾の人間として何をすべきかを伝えようとしており、その意味からは、彼は一人の運動家であったとも言えるでしょう。
1920年代に興った台湾新文学運動は、人々の文化思想の上で大きな啓蒙作用を持ちました。日本統治時代に台湾の人々の手により創刊された新聞『台湾民報』で文芸欄の編集をしていた頼氏は文壇のリーダーであり、また台湾新文学運動の先駆者として、漢詩、小説、散文、日記など、多くの作品を生み出しました。頼和氏の代表的な作品の一つに、『一桿秤仔』という小説があります。「一桿秤仔」とは「天秤ばかり」という意味です。1926年『台湾民報』に発表されたこの小説は、貧しい一家の暮らしを通して当時の社会状況が鮮烈に描かれており、現在、高校の教科書にもよく使われています。この他にも、小学校から大学まで、あらゆる教育課程の教材に頼氏の作品が使われています。
頼和記念館には、頼和氏の直筆原稿や書画、蔵書、また台湾新文学運動に関する影像資料や写真などもあり、どれも台湾文学における貴重な史料となっています。また頼和氏が生前使用していた生活用品や医療器具なども展示されており、頼和氏に対する彰化の人々の想いが伝わってきます。現在は、彰化地区のその他の作家に関する文物なども収めています。
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頼和記念館 |
(頼和記念館の執行秘書長・張綵芳さんのお話)
頼和先生に関する文物は全て、彼の死後、長い間遺族によって保管されていました。その後、頼和先生によって育てられた台湾文学の巨匠たちが、台湾新文学の父・頼和をもっと多くの人に知ってもらい、彼の作品をもっと多くの人に読んでもらいたいと考え、遺族と相談して「頼和記念館」がつくられたのです。
頼和記念館は、頼和氏が目指し続けた、台湾文化の発揚と台湾を主とした教育の精神に基づき、成立以来様々な文芸活動を続けています。
(頼和記念館の執行秘書長・張綵芳さんのお話)
この記念館にはよく、頼和先生の作品を読んだ子供たちがやってきます。私が子供たちに、生前の頼和先生の話をすると、みな目を丸くして聞き入り、今度は他の友達を連れて遊びに来たりするのです。文学とは決して近づき難いものではなく、こうして自然に親しむ事ができるもののです。頼和先生の作品の多くには、彼の生まれ育った彰化が描かれています。私たちは、彰化の文学散歩地図を作り、訪れた人たちに提供しています。彰化の街を歩きながら古跡を巡り、文学に触れれば、新しい彰化が見えてくる事でしょう。
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頼和記念館 |
頼和記念館の住所は彰化市中正路一段242号、和園ビル4階です。在来線の台湾鉄道・彰化駅から2キロほどのところにあります。開館は毎週火曜日から土曜日の朝8時半から午後5時まで、お昼の12時から1時までは休憩。入場は無料です。
台湾文学の父・頼和氏は、今もこの彰化の地から文学の種を撒き続けています。頼和記念館を訪れれば、頼氏の生み出した台湾新文学に触れ、台湾の歴史を感じる事ができるでしょう。
(担当:上野重樹) |