|
さて、続いてご紹介するのも音楽文化館です。今度は皆様を台湾東部の花蓮市にご案内いたします。さきほどご紹介した「台北愛楽、及び梅哲音楽文化館」は西洋のクラシック音楽を中心とした文化館ですが、今度、ご紹介する「郭子究音楽文化館」は台湾の音楽や歌を主としたものです。
台湾東部の花蓮市の花蓮高校の向かい側にある、郭子究音楽文化館は2004年に設立されました。現在、花蓮高校の図書館がその管理に当たっています。この音楽文化館は、その生涯を音楽教育と創作に捧げた、花蓮高校の故郭子究先生をメインテーマとしています。ここには二つの大きな展示エリアがあります。一つは「郭子究音楽文化館」そのもの、もう一つは「郭子究の旧居」です。主な展示品は郭子究先生の文物とその音楽作品です。同館は多目的な文化館だといえます。展覧館のほかに、小型の会議室や、実際に演奏できるスペースもあります。一ヶ月に二回ほど、演奏が行われます。入場は無料です。10人以上の団体の場合、事前予約で解説のサービスを受けられます。休館日は月曜日です。
郭子究先生は、花蓮ではとても有名な人物です。作詞作曲家であり、音楽の教育家でもあります。日本統治時代の1919年、屏東県の貧しい家庭で生まれた郭子究先生は、小学校しか卒業していませんでしたが、音楽が非常に好きで、自力で音楽を学びました。そして、先生の資格を取得し、さらには特別に優秀な教師に選ばれました。郭子究先生は花蓮高校で34年間教鞭をとりました。その間、郭子究先生は独特の教学法で学生のリズム感を鍛え、資源が相対的に乏しかった花蓮高校の学生の音楽の素養を高めたのです。また、音楽作品も多く作りました。先生が率いた合唱団は台湾省の合唱コンクールで常にいい成績を上げました。先生はまた、学生の音楽の能力を高めるのに特に報酬を求めず、これらの学生が大学の入試に参加できるよう協力しました。先生が学生たちを助けようとしたこういった精神は、郭子究先生が1980年に作った「教師をたたえる」という歌に十分反映されています。この歌では、教師のことを庭師と形容し、教師は民族の苗に水をやることに精を出していると、歌っています。それでは、郭子究先生が1980年に書いた「教師をたたえる」と言う曲をお楽しみ下さい。
(教師頌)
花蓮の人たちは郭子究先生に敬意を示すため、花蓮の旧名、「洄瀾」を使って、郭先生を、「洄瀾音楽の父」と仰ぎます。地元の人達はそして、郭先生がなくなって五年後に「郭子究音楽文化館」を設立し、先生の名前、「郭子究」という三文字を使って花蓮の人たちの共通の思い出を後世に残そうとしているのです。「郭子究音楽文化館」は60年以上の歴史のある古い建物で、日本統治時代は教職員の宿舎でした。同館の管理に当たっている花蓮高校図書館の鄭宏成・主任は郭子究先生のことを次のように振り返っています。
(鄭宏成・主任)
鄭・主任によりますと、郭子究先生は1919年生まれで、1999年に他界しました。享年80歳でした。この80年の間、先生はその生涯の大半を花蓮と台東一帯で音楽教育に捧げました。
(花蓮舞曲)
この曲は花蓮舞曲といいます。郭子究先生の1943年の作品です。先生は花蓮をテーマとした曲をたくさん作りました。例えば、花蓮県の県の歌、花蓮中学校の学校の歌、花蓮貨物輸送の歌、花蓮への観光客を歓迎する歌などです。先生の作品は五種類に分けることができます。それは、芸術歌曲、教会歌曲(賛美歌のようなもの)、童謡、テーマソング、イメージソング、及び政府の政令を宣伝するための歌などの五種類です。童謡と賛美歌はやや後期の作品です。
それでは、最後に郭子究先生が作った曲の中で、最もよく知られている歌、「思い出」をお楽しみ下さい。この歌は20数年前、台湾の高校の合唱コンクールでよく指定曲として使われました。学歴社会で、音楽教育があまり重視されていない時代において、地方で音楽教育を推進し、台湾東部における音楽のレベルアップに力を惜しまなかった郭子究先生、その作品にはきっと、われわれに何か考えさせるものがあるでしょう。
(担当
王淑卿)
~~~~~~~~~~~~~
|