今年2026年4月24日は、日本統治時代の台湾で日本人によって品種改良されて誕生し、現在に至るまで広く台湾で生産されているお米である「蓬萊米(ほうらいまい)」が「蓬萊米」と命名されてからちょうど100年を迎えた日です。台湾の政府の統計では、100年間で育成された蓬萊米の品種は合計235種類に上ります。
ということで、今日は蓬莱米の歴史についてご紹介します。
まず、「蓬莱」とはどんな意味かというと、「古代中国で、不老不死の仙人が住むと伝わってきた中国大陸の東に浮かぶ伝説の島」のことです。まさに台湾が中国大陸の東に位置する島であることから、後に「台湾」を指す言葉となりました。その台湾で品種改良され、生まれた米のことを「蓬莱米」と言うのです。
では次に「蓬萊米」ができた経緯について説明します。時は日本統治時代。当時の最高行政機関・台湾総督府の農事試験場の技術者として1912年に台湾へ渡った広島県出身の日本人・磯永吉(いそ えいきち)と、1910年に台湾へ渡り、後に中部・台中の農事試験場の主任として活躍した福岡県出身の日本人農業技術者・末永仁(すえなが・めぐむ)、この二人が中部・台中の農事試験場および国立台湾大学農学部の研究室で稲の改良研究に長年従事します。二人は十数年にわたり昼夜を問わず研究に打ち込んだ末、1929年に兵庫県の「神力(しんりき)米」と島根県の「亀治(かめじ)米」を掛け合わせてできた蓬莱米「台中65号」の育成に成功。この品種は病気に強く収穫量が多いほか、台湾の暑さへの適応力にも優れていたことから、後に台湾全域で栽培されるようになり急速に普及しました。収穫量の高い蓬莱米によって,米農家は経済的に豊かになり, 台湾の農業を大きく進展させるとともに,台湾人の食生活にまで大きな影響を及ぼすことになったとされています。
現在台湾で栽培されている「蓬莱米」はすべて、「台中65号」を品種改良したもので、現在の台湾における多くの稲作品種の基礎となる原型とされています。1970年以降は、国民の生活水準の向上に伴い、米に対する要求は単に「お腹を満たすこと」から「よりおいしく食べること」へと移行したことで、米の品質改良がさらに進化し様々な高品種の蓬莱米が台湾で誕生。さらに近年では、多様な用途に対応するための品種開発も進み、少量混ぜて炊くとよい香りとなるところから,お供物など特殊な用途で用いられる香り米の「高雄147号」、酒造用の「台南21号」、リゾット向けの「花蓮26号」、低タンパク米など、特色ある品種が育成されています。
ちなみに蓬莱米が台湾で栽培される前、台湾人はどんなお米を食べていたかというと、主に一粒一粒が長めの品種・インディカ米や、原住民族によって栽培されていた品種です。インディカ米はもともと台湾にあった米ということで、「在来米」とも呼ばれ、東南アジアや南西アジアで今日も栽培されています。水分を吸いにくくパサパサしているのが特徴的です。
一方、日本でも食べられているジャポニカ米と同じく粒の短い蓬莱米は粘り気があり高品質で収穫量が多いです。しかし、熱帯気候に適応するのが難しく、現地での育成や品種改良に長い歳月を要しました。そして、先ほどご紹介した・磯永吉(いそ えいきち)と末永仁(すえなが めぐむ)によってようやく台湾でも生産できる蓬莱米の品種が誕生。1926年に当時台湾総督を務めていた日本人の伊沢多喜男(いさわ たきお)が、元々台湾にあった在来米と区別するため、台湾で誕生した蓬莱米を総称して1926年4月24日に「蓬莱米」と命名したのです。
二人はジャポニカ米同士の掛け合わせのほか、従来至難の業と考えられていたジャポニカ米と台湾在来種(インディカ米) の掛け合わせにも繰り返し挑戦し、結果、最終的に二人が育成した蓬莱米の品種は合計260にも達したといい、台湾では磯永吉を「蓬莱米の父」、末永仁を「蓬莱米の母」と呼び敬われています。磯永吉に関しては、亡くなってから40年が経った2012年には胸像が末永仁の胸像と共に台湾⼤学に設置され、功績が今尚語り継がれています。
一方、末永仁は台湾に渡る前、福岡県の農業試験場に勤めていました。その試験場は現在、福岡県農林業総合試験場として筑紫野(ちくしの)市にあるのですが、その試験場の資料館に、末永仁の胸像が置かれています。これは、台湾の実業家が寄贈したもので、日本と台湾の友好がここからも示されているのです。
そして今年は蓬萊米の命名100周年という重要な節目にあたることから、農業部(日本の農林水産省に相当)は4月22日に蓬莱米命名100周年の記念行事を陽明山国立公園内の標高約650メートルに位置する盆地・竹子湖で開催。竹子湖は「蓬莱米」発祥の地でもあり、記念行事には日本から北海道大学や国立遺伝学研究所の訪問団や、「蓬莱米の母」と称される末永仁の子孫らが招かれ、共に「台中65号」などの田植えを行い、先人への感謝の念を捧げました。
その際、農業部の胡忠一・政務次長(副大臣)は、昨年、日本に向けて輸出した台湾産の米は1万2500トンで例年の3倍から4倍だった。そして今年は3月末までの3カ月で4500トンに達しており、昨年を上回るペースで今年の対日輸出の成績も期待できる」と台湾米の先行きに前向きな姿勢を示しました。
皆さんも台湾にいらした際は、日本人の努力の結晶である蓬莱米を使ったお弁当などを試してみて、その美味さを是非味わってみてはいかがでしょうか。

今年は蓬萊米の命名100周年という重要な節目にあたることから、農業部(日本の農林水産省に相当)は4月22日に蓬莱米命名100周年の記念行事を、陽明山国立公園内の標高約650メートルに位置する盆地・竹子湖(「蓬莱米」発祥の地)で開催した。
左から2人目は農業部の胡忠一・政務次長(写真:農業部)