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台湾ミニ百科 - 2026-08-05-【日本統治時代の教育制度/日本統治下から続く小学校で貴重な史料見つかる】

今回は、かつて1895年から1945年までの50年間にわたり続いた日本統治時代の台湾で敷かれた教育制度について、そして最近、当時の貴重な遺構や資料が台湾南部・台南市の小学校で相次いで見つかったという話題についてお伝えします。

まず、日本統治下における台湾の教育制度を説明します。

日本統治時代は1895年に結ばれた日清戦争の講和条約である「下関条約」により、清王朝が台湾と澎湖諸島を日本へ割譲したことを契機に始まりました。日本は台湾総督府を設置して植民地統治を開始、その後50年間に渡り日本統治時代は続きました。その間台湾総督府は、日本本土の教育制度を基礎としながら、台湾の統治に合わせた新たな教育制度を整備。明治維新期に西洋から導入した近代的な学校制度を台湾でも積極的に普及させ、台湾近代教育の基礎を築きました。当時の教育の目的は、台湾人に日本語の基礎的な読み書きや日本式の生活技能を身につけさせるとともに、日本への忠誠心を育成することにありました。しかし、当初日本人と台湾人に対する教育は原則として分けられていました。台湾籍の子どもが通う学校は「公学校」と呼ばれ、通う期間は8歳から14歳までの6年間と規定されました。一方、日本籍の子どもに対する義務教育期間として「小学校」を設置し、日本本土の小学校と同一課程の教育を実施。公学校と同様就学期間は8歳から14歳までの6年間でした。

さらに、当時はもう一つ義務教育を行なった初等教育機関があります。それは「蕃人公学校(ばんじんこうがっこう)」と呼ばれる日本統治時代1905年以降、原住民を対象に設立された学校でした。1905年に設立された蕃人公学校は20校で、独自の教育課程が制定されました。一般の台湾籍児童を対象にした6年制公学校と異なり、就学期間は原則4年、一部3年制の学校も存在し、必要に応じて農業や手芸、歌の授業なども実施されました。

このように、日本統治下の台湾には3種類の学校があったわけなのですが、1922年になって総督府は「第二次台湾教育令」を公布・施行、原住民を対象に設立された「蕃人公学校」の名称を廃止し、一般の公学校へと改称。これにより蕃人公学校独自の教育制度は廃止されました。また、同じく「第二次台湾教育令」により1922年になって初めて台湾籍の子どもが通う「公学校」と日本籍の子ども向けの「小学校」はともに国民学校へ統合され、日本本土とほぼ同じ教育制度や教育内容が導入され、台湾籍と日本籍児童の共学が認められました。この共学制度は日本統治時代が終わりを告げる1945年まで続きました。ただし、制度上は共学が認められたものの、実際には教育内容や入学条件などに差が残り、台湾籍と日本籍児童が完全に平等な教育を受けていたわけではなかったとされています。

と、ここまでが日本統治下における台湾の教育制度の説明になります。

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ここからは、台南市の小学校で、日本統治時代の貴重な遺構や資料が相次いで見つかった話題についてお伝えします。

台南市文化局が管理する文化財の保全・管理を担当するほか、行政機関や民間団体と連携しながら文化資産の保存に取り組む「台南市文化資産管理処」は今年(2026年)になり、南部・台南市にある創立100年以上の小学校25校を対象に、校内に残る文化財の調査や記録作成を進めています。このうち、菁寮国民小学校では、「勅語筒」と呼ばれる極めて珍しい保存容器が見つかりました。これは、教育勅語の謄本、つまり教育勅語の内容を書き写した書類を保管するための専用の容器だったとみられています。また、後壁国民小学校や安溪国民小学校など6校では、天皇・皇后の肖像写真である「御真影」を保管する重要施設「奉安庫」が今も残されていることが確認されました。この二つは当時の学校において最も政治的な意味を持つとともに、日本の植民地統治下における皇民化教育を象徴するものとされています。

台南百年小學發現罕見勅語筒見證日治教育歷史- 生活- 自由時報電子報

今回台南市菁寮国民小学校で見つかった、天皇・皇后の肖像写真である「御真影」を保管する重要施設「奉安庫」

南市菁寮國小收存的「勅語筒」筒身、筒蓋。(南市文資處提供)

今回台南市菁寮国民小学校で見つかった「勅語筒」

台南市文化資産管理処によると、日本統治時代の台湾では御真影と『教育勅語』の保管に厳しい規定が設けられており、学校で火災や地震、水害が発生した場合や、第二次世界大戦末期の空襲の際には、教職員にはこれらを最優先で保護する責任が課されており、校長や当直教員が奉安庫へ向かい、御真影と勅語筒を最優先で持ち出して避難させることが規定で定められていました。万一、破損や紛失が生じた場合には、関係する教職員が行政上や政治上の責任を問われる可能性もあったということです。実際に責任を取って校長が自ら命を絶った事例もあったとされ、日本帝国時代における天皇崇拝と国家イデオロギーが教育制度に深く浸透していたことが分かるといいます。現代の校長は少子化や保護者対応などの課題を抱えていますが、約100年前の校長は、「御真影」と「教育勅語」を命懸けで守るという別の重い責務を負っていたのです。

同管理処は今後も調査と保存を進め、台湾近代教育史や文化財研究に役立てていく方針だ」と明かしています。

今月15日で終戦から81年目を迎えます。当時の歴史を伝える貴重な史料や遺構がこれからも大切に保存され、新たな世代に記憶が受け継がれていくことを、願います。

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