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宝島再発見 - 2026-08-27_台湾で唯一、阿里山の「樹霊塔」 伐採された10万本の大木の霊を慰める

台湾中南部・嘉義にある、阿里山には、樹木の霊を慰める台湾唯一の「樹霊塔」があり、日本統治時代に伐採された10万本の大木の霊を供養しています。(写真:CNA)
台湾中南部・嘉義にある、阿里山には、樹木の霊を慰める台湾唯一の「樹霊塔」があり、日本統治時代に伐採された10万本の大木の霊を供養しています。(写真:CNA)

きょう827日は旧暦715日に当たり、台湾では「中元節」と呼ばれる日です。昼ごろから、各地のオフィスビルの前にはテーブルが置かれ、さまざまなお供え物が並べられるなど、先祖や、この世に戻ってきた無縁の霊を供養する準備が進められていました。

こうした儀式は台湾語で「拜門口」、または「普渡」と呼ばれ、無縁の霊を供養するとともに、「鬼月」とされる旧暦7月を平穏無事に過ごせるよう祈る意味もあります。

台湾国際放送の運営母体である中央放送局でも、きょう午後、局舎の前にテーブルを出し、無縁の霊などを供養しました。

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台湾各地には、動物の霊を慰める「獣魂碑」が見られ、旧暦7月には、人間のために犠牲となった動物を供養する「普渡」も行われます。農業部(日本の農林水産省に相当)林業および自然保育署嘉義支署によりますと、台湾中南部・嘉義にある、阿里山には、樹木の霊を慰める台湾唯一の「樹霊塔」があり、日本統治時代に伐採された10万本の大木の霊を供養しています。

伝説によりますと、当時、大量の巨木が伐採されたことに樹木の霊が怒り、天罰によって多くの労働者が病気で亡くなったとされています。また、白い米を炊くと、血のように真っ赤なご飯になったという、驚くような出来事も相次いだといいます。こうした数々の怪異によって、阿里山の集落では人々が恐怖と不安に包まれました。このため、日本政府は、人々の不安を鎮めるとともに樹木の霊を慰めるため、この塔の建立を決めたと伝えられています。

しかし、阿里山森林遊楽区によりますと、1934年、日本政府は「全日本愛林日」を制定し、森林を大切にする「愛林運動」の普及を始めました。台湾総督府も日本国内の政策に呼応し、この年から、山林祭や記念植樹、林業関連の博覧会など、さまざまな愛林活動を行いました。活動は1943年まで、合わせて10回にわたって行われました。

同じ1934年、日本政府は「阿里山事業創始25周年記念式」も行いました。林業の発展に貢献した功労者の表彰や、殉職者を追悼する「慰霊祭」のほか、樹木に宿る精霊や、老木・巨木に備わると信じられている霊魂「樹霊」の名を冠した初めての祭典「樹霊祭」も開催されたということです。

嘉義支署によりますと、1934年、日本政府が阿里山で「樹霊祭」を行った目的は2つありました。1つは、伐採作業中に命を落とした日本人技師や台湾人労働者など、77人の殉職者を慰霊すること、もう1つは、伐採された10万本の大木の霊を慰めることでした。このため、翌1935年に「樹霊塔」が建てられました。

その後、毎年3月と9月に1回ずつ樹霊祭が行われました。儀式の内容は最初の樹霊祭とほぼ同じで、参加者の多くは営林所(日本の森林管理署に相当)の公務員や、林場で伐採、集材、鉄道作業を担う班の現場責任者でした。日本本土出身者が大半を占め、参加者はおよそ30人でした。

嘉義県文化観光局によりますと、第二次世界大戦後も、樹霊塔での祭祀は長年にわたって続けられました。ただ、儀式は日本の「神道式」から「道教式」へと変わり、感謝を表す儀式から、豚や鶏などの供え物を重視する「普渡」へと変化しました。

この時期の参加者も日本統治時代と同じく、公務員や作業班の現場責任者が中心で、一般の観光客や地元住民が参加することはほとんどありませんでした。その後、伐採事業の衰退に伴って参加者も次第に減少し、1969年以降、伐採事業の停止と産業転換に伴い、祭典も正式に廃止されました。

嘉義支署によりますと、一般には、阿里山の樹霊塔は、日本人が樹木にたたられることを恐れ、台湾人や先住民族の勧めを受けて建てたものだと考えられてきました。

しかし、2014年に国立台北芸術大学建築・文化資産研究所の黄士娟・准教授に委託して行った調査では、台湾各地の民間信仰に類似する施設はなく、樹霊塔の建立には、日本で「草木塔」を建てる習慣が関係していると指摘されました。

黄・准教授によりますと、日本では、伐採や木材運搬の重要な拠点に僧侶を招き、林木を供養する草木塔を建て、作業員の安全を祈る信仰施設としてきました。草木塔は、樹木を供養するための石碑で、建立された理由や背景は、阿里山の樹霊塔と非常によく似ているということです。

嘉義支署の説明では、高さ20メートルの阿里山の樹霊塔の本体は3つの部分からできています。第1の部分は、地面に設けられた樹木の年輪を表す、同心円状の5段の階段です。1段の高さはおよそ16.5センチ、幅はおよそ30センチで、樹齢500年を象徴します。

2の部分は、石造りの円柱形の碑で、垂直に立つ中央の円柱、その下の台座、3本の半円形の短い柱に分けられます。3本の短い柱は円柱の外周に等間隔で立ち、その間には、銅製の曲面状の額に「樹霊塔」の3文字が縦書きで記されています。3本の短い柱と中央の円柱の下には、31センチと60センチの基壇が設けられ、これらの柱を取り囲んでいます。

3の部分は塔上部にある銅製の塔の先端部分です。

文化観光局によりますと、1935年(昭和10年)は、日本による台湾統治開始から40周年に当たり、台湾総督府は、日本による台湾統治の実績を紹介する、当時としては過去最大規模の博覧会を開催しました。この年、阿里山では樹霊塔のほか、高山博物館と阿里山貴賓館も完成したということです。

(編集:王淑卿)

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