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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)-2026-09-06-台湾の文旦――300年の歴史から中秋節、そして「老欉」の味わいまで

文旦。(農糧署提供)(圖:中央社)
文旦。(農糧署提供)(圖:中央社)

<オープニング:台湾では「柚子(ヨウズ)」と呼ばれる文旦>

  • 台湾では、夏の終わりから秋にかけて、市場やスーパー、果物店に大きな緑黄色の「柚子(ヨウズ)」と呼ばれる文旦が並ぶ。中秋節が近づくと、月餅とともに家庭の食卓を彩るこの果物。台湾の人たちにとって、「中秋節といえば文旦」というほど馴染み深い存在である。

  • 日本人の私たちは「柚子」と聞くと、冬至にお風呂に浮かべる小ぶりな香りを楽しむ柑橘のユズを思い浮かべるかもしれない。しかし台湾で「柚子」と呼ばれているものは、基本的には日本語でいう「ザボン」「ブンタン」の仲間である。そして台湾で最も代表的な品種が「麻豆文旦」である。

  • 「麻豆」とは台南市郊外の地名だが、「麻豆文旦」は単なる産地名ではなく、一つの品種名としても扱われている。そのため、台南の麻豆だけでなく、花蓮の鶴岡、新北の八里など、台湾各地で「麻豆文旦」が栽培されている。産地名を冠して「鶴岡文旦」「八里文旦」などと呼ばれていても、基本的には同じ麻豆文旦という品種である。

  • では、なぜ「麻豆」という名前が台湾を代表する文旦の名前になったのか。そこには、300年以上にわたる台湾の文旦栽培の歴史がある。本日は、台湾の中秋節を挟んだ秋の風物詩「柚子」こと、「文旦」についてご紹介していきたい。

<第1セクション:台湾の文旦栽培の歴史>

  • 台湾で柚類が栽培されていた歴史は古く、1694年に編纂された『台灣府志』には、すでに「柚」についての記述が見える。そこには、果実が大きく皮が厚く、熟すと皮が黄色くなり、果肉には赤いものと白いものがあり、甘いものと酸っぱいものがある、といった特徴が記され、さらに「人以供佛」、つまり人々が仏さまへのお供え物として用いていたことも記されている。したがって、17世紀末の台湾では、すでに「柚」と呼ばれる柑橘類が、人々の暮らしや信仰と関わっていたことが分かる。

  • 現在の「麻豆文旦」につながる文旦が台湾に伝わったのは、清朝の康熙40年、1701年とされている。「台南區農業改良場」の資料によれば、福建漳州から台湾へ導入された文旦は、最初から麻豆で栽培されていたわけではない。嘉義や宜蘭などにも植えられた後、1788年ごろ、台南の安定地区で黄灌という人物が栽培し、独特の甘味を持つ文旦が得られたとされている。

  • そして1850年ごろ、この安定の文旦から苗木6本を分けてもらったのが、麻豆の郭薬という人物だった。郭は自宅の庭に苗木を植え、5~6年にわたって丁寧に管理したところ、そこで採れた文旦は安定のものよりも果肉が柔らかく、果汁が多く、独特の風味を持つと評判になった。

  • その後、郭薬の子の郭糾も栽培を続け、「高圧取り木(木の枝や幹の途中に傷をつけて根を出させ、切り離して新しい株を増やす植物の繁殖方法(取り木)の一つ。地面から遠い高い位置の枝でも、その場で発根させて新しい苗にできるのが特徴)」などの手法によって苗木を増やしていった。

  • こうして文旦は麻豆一帯で急速に広がり、地域の名産品になっていく。そして人々は、この麻豆で育った文旦を「麻豆文旦」と呼ぶようになった。つまり、「麻豆文旦」は最初から完成された品種が麻豆にやって来たのではなく、福建から台湾へ伝わった文旦が、安定での栽培を経て麻豆に根付き、そこで優れた特徴を持つようになり、地域の人々によって選抜・繁殖されていったということになる。その歴史の中で「麻豆文旦」という名前が定着したのである。

  • それではここで、一曲お聴きいただこう。蘇菀陵さんの「柚仔」。この楽曲は台湾語フォークの旗手・謝銘祐さんの作詞作曲による作品で、2020年にリリースされたアルバム《海翁囡仔(hái-ang gín-á/クジラの子ども)》に収められている。芳しく甘酸っぱい文旦の魅力を生活風景とともに愛らしく歌っている。

<第2セクション:文旦の三大産地「台南麻豆」「花蓮鶴岡」「新北八里」>

  • 麻豆の文旦は、一般的には400~800グラムほどの果実で、果形は水滴型、あるいは洋梨型である。果皮は黄緑色から淡黄色。果肉は淡い黄色から黄白色で、品種によっては淡いピンク色を帯びることも。特徴は、果肉が柔らかく、果汁が多く、種が少ないこと。

  • 「台南區農業改良場」の資料では、糖度は平均11度前後、酸度は0.45%程度とされ、成熟期は9月上旬、二十四節気でいう「白露」の前後。文旦は高温と十分な日照を好むが、果実の成長期には適度な水分が必要である一方、成熟期には乾燥した土壌環境が望ましいとされている。この「水」と「乾燥」のバランスが、文旦の味を左右する重要な要素になる。

  • 農業部によれば、現在も台湾最大の文旦産地は台南であり、台南市の文旦生産量の8割以上を麻豆区が占めるとされている。麻豆文旦の魅力を一言で表すなら、「香り高く、甘く、ジューシー」ということになる。これは麻豆は肥沃な土壌と適度な排水性があり、日照にも恵まれていることに由来すると言われる。

  • さらに、麻豆の文旦を特別なものにしているのが、長い年月を生きてきた「老欉(ラオツァン)」の存在である。「欉」は樹木を表す言葉で、ここでいう「老欉」は、樹齢の高い文旦の老木を意味する。つまり、「老欉文旦」とは、一般的に樹齢20年以上の高齢の樹から収穫された文旦のことを指す。

  • 台湾農業部の説明では、老木は若い樹ほど根や枝葉が旺盛ではないため、樹が吸収した養分が果実に回りやすくなり、結果、果肉が甘く、多汁で、種が小さく少なくなるとされている。ただし、「老木だから必ず甘い」「小さい果実だから、老欉だから美味しい」という単純な話ではない。

  • 農業部自身も、文旦のおいしさは果実の大きさだけで決まるものではなく、栽培管理が重要だと説明している。一般的に20年以上の「老欉」は果肉が細かく風味が濃いとされるが、現代の栽培技術によって若い木からでも美味しい文旦は作ることはできる。それでも台湾の文旦好きが「老欉」を特別視するのは、「何十年もの時間をかけて農家がこの土地で育ててきた果実」という物語が価値となっているからである。

  • 台湾東部花蓮県瑞穗郷の鶴岡も麻豆と並ぶ台湾の代表的文旦の産地として知られている。農業部は、麻豆文旦を「香甜多汁」、つまり香り高く甘くてジューシーな味わい、鶴岡文旦を「又酸又甜」、つまり甘酸っぱい味わいとして紹介している。その違いを生み出す大きな要因が、山の斜面で排水が良い産地の栽培環境と言われている。

  • 文旦は生育期には水分を必要とするが、成熟期に水分を過剰に吸収すると、果実の味が薄くなりやすい。鶴岡では山の斜面の排水性によって、果樹が必要以上の水分を吸収することを抑え、果実の糖分が適度に保たれるとされている。この結果、適度な酸味と甘味のバランスの取れた文旦が生まれる。

  • 台湾北部にも有名な文旦の産地がある。観音山周辺の八里文旦である。ここは水はけの良い山の斜面に加えて、台湾海峡からの海風を受ける。さらに観音山の火山岩由来の土壌と豊かな日照という条件が組み合わさっている。

  • 八里文旦は、果肉の食感が比較的「Q彈」、つまり弾力があり、香りがしっかりしていることが特徴とされている。麻豆の「柔らかくジューシー」な文旦、鶴岡の「甘酸っぱい」文旦に対して、八里は「香りと食感」が魅力の文旦、ということになるだろう。

  • ではここで、もう1曲お聴きいただこう。郭忠祐さんの「柚仔」。この曲は2024年にリリースされたアルバム《從今以後(これから)》に収められている1曲。文旦は1〜2週間ほど放置して水分が適度に抜けたほうが美味しいとされる。歌詞には「人攏講我親像柚仔,愛等消水(人は皆、私を文旦のようだと言う、愛は水分が抜けて甘くなるのを待たなければならない)」というフレーズがあり、人生の成熟を文旦に例えて表現している。

<第3セクション:中秋節と文旦>

  • 台湾では中秋節に文旦を食べる風習がある。「昔から中華文化圏では中秋節に『柚子(=文旦)』を食べていた」と考えがちだが、台湾の農業部の資料によれば、中秋節に文旦を食べる習慣が広く定着したのは、戦後の民国30年代以降とされている。当時は経済的に余裕がなく、中秋節の贈答品として高価な月餅の代わりに、旬の果物を贈っていた。

  • その中で文旦は、ちょうど中秋節の時期に収穫できる上、麻豆では昔から家庭の庭先にも植えられていた身近な果物だった。そこで麻豆の人々が、自宅で育てた美味しい文旦を親戚や長老に贈るようになり、その習慣が徐々に広がっていったとされている。さらに新聞などによる宣伝も加わり、「中秋節には文旦」という文化が台湾全体に定着していった。つまり、文旦の収穫期と中秋節が重なったこと。そして、それを贈答品として利用する文化が広がったこと。この二つが重なった結果ということになる。

  • もう一つ、文旦が中秋節に結びついた理由として知られているのが、華語の語呂合わせである。文旦を表す「柚」は台湾華語で「yòu」。守る、助ける、加護するという意味の「佑」も台湾華語で「yòu」でまったく同じ発音。このため「柚」、すなわち文旦を食べることが、「家族にご加護がありますように」という願掛けにも繋がった。

  • 文旦にはもう一つ他の果物とは違った楽しみ方がある。それが、収穫後に少し寝かせることである。文旦を風通しのよい場所に置き、7~10日ほどかけて果実の水分を少し飛ばすことによって、果肉が柔らかくなり、甘味が増して食べやすくなる。台湾ではこの工程を「消水」と呼んでいる。

  • つまり文旦は、「収穫してから少し時間を置いて完成する」果物なのである。保存性も高く、適切な環境なら1か月程度保存できるとされている。このため台湾では、中秋節に食べきれなかった文旦を、その後もしばらく楽しむことができる。私も毎年この恩恵に預かっている。

  • ここで、文旦の二つの「時間」を考えてみたい。一つは、樹が生きてきた時間。つまり、前のセクションでお話した、20年、30年、あるいはそれ以上の年月を生きてきた文旦の老木「老欉」。もう一つは、収穫してから食べるまでの時間、「消水」。つまり文旦は、木の上で長い年月を過ごし、収穫されてからも少し時間を置いて、ようやく食べ頃になる。時間とともに味わいが生まれるという点では、人生にも似ている。

  • そして、これは台湾の中秋節という文化とも不思議と重なる。家族が何世代にもわたって同じ土地で暮らし、先祖から受け継いだものを次の世代へ渡していく。その土地で何十年も生きてきた「老欉」から、今年も文旦が実る。そして中秋節に家族が集まり、その果実を分け合う。そう考えると、一個の文旦の中に、土地、家族、農家、季節、そして木が成長し果実が熟成する時間までが詰まっているようにも感じられる。

  • 文旦は、台湾の「秋」や「中秋節」を代表する果物であるのと同時に、その中には、台湾という島が歩んできた歴史と、土地ごとの風土、人々の記憶が、ぎゅっと凝縮しているのである。

  • 最後にもう1曲、八得力樂團のバンマスの林助家(A-Ga)の「柚仔花」。この楽曲は、2021年にリリースされた彼の台湾語オリジナルアルバム《人文 歌謠 觀音山》に収められている。観音山八里の文旦の白い花が芳しく咲き誇る風景を自分の人生と重ね合わせて歌っている。本日はこちらの楽曲をお聴きいただきながらお別れしたい。

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