<第1セクション:『喝采』の台湾語カバー曲『傷心的車站』>
台湾の今年の中秋節(旧暦8月15日)は、今週の月曜日、例年より1か月ほど遅い10月6日だった。これは今年は旧暦6月に閏月があり、すなわち6月を2回繰り返したための影響だ。太陽暦が365日(もしくは366日)であるのに対し、月の満ち欠けをベースとする太陰暦は354日(もしくは355日)で、毎年11日ほど少ない。このため、3年に1回ほどのペースで閏月を設けて、全体の季節がずれないように調整することになる。今年の中秋節も、私も台湾の慣例に従い、月餅と文旦、そして焼肉を食べてお祝いした。
さて、本日は「台湾に根を下ろした日本歌謡」の第19回をお届けしたい。1970年〜1980年代に日本でヒットし、台湾でカバーされた日本の歌謡曲3曲を紹介していく。最初に紹介するのは、1972年にちあきなおみさんが歌ってヒットした『喝采』。この曲が台湾でカバーされたのは、20年以上も時代が降った1995年のことだった。黃乙玲さんが歌った『傷心的車站』という曲だ。
なぜ台湾でカバーされるまでこれほど時間がかかったのか?私なりの推察では、1980年代まで続いた日本歌謡への放送・流通上の制約が、1990年代(台湾の戒厳令解除と民主化の進行)に緩和され、J-POPや日本の音楽商品が流入されやすくなったこと、またテレビドラマ等を通じた影響や、台湾の所得上昇に伴う音楽市場の拡大が背景にあり、こうした環境変化によって「古い日本歌謡を再発掘して台湾市場で売る」土壌が形作られたのではないかということだ。
まず、原曲のちあきなおみさんの『喝采』について振り返ってみたい。この曲は1972年にリリース、私が小学校4年生の時の大ヒット曲で、オリコン調べでは80万枚のレコードセールスを記録している。日本の歌謡史に深く刻まれた名曲で、ちあきさんにとって5枚目のシングルであり、同年の第14回日本レコード大賞を受賞。彼女を一躍トップシンガーへと押し上げた決定的な一曲となった。
物語は「舞台に立つ歌手が、亡き恋人の訃報を胸に秘めながら歌い切る」という劇的な設定で進む。歌詞は一人称視点で、静かなモノローグのように淡々と描写されるのが特徴。冒頭の「いつものように幕が開き…」という語りから、ステージの光と観客の拍手(喝采)の中で、傷ついた心を押し殺して歌う女性の姿が浮かび上がる。悲しみとプロとしての矜持が同居するドラマ性は、当時の歌謡曲においては極めて異色で、聴く者に強いインパクトを与えた。
作曲の中村泰士さんのご自身の告白によれば、曲調は服部良一作曲の『蘇州夜曲』と讃美歌の『アメイジング・グレイス』を参考にしたそうだ。吉田旺さんの詞はセリフのようであり、歌というより短編小説に近いとも評されている。また、レコード会社の制作担当や作曲家の中村さんが、歌詞中の「黒いふちどり」という表現を歌謡曲に相応しくないから変更すべきと主張したものの、吉田さんがこれを「歌詞の核」だからと主張してガン譲らなかったというエピソードも残っている。ちあきさんの深い低音と情感豊かな歌唱は、泣き崩れず毅然とした女性像を体現し、リアリズムと演劇性を併せ持った表現として高く評価された。
発売当時は、何週間もオリコン1位を譲らなかった宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』に阻まれて、『喝采』は1位獲得こそならなかったが、12週連続で2位をキープ、年間チャートでも上位にランクイン。ちあきさんの歌唱力と表現力で、小柳ルミ子さんの『瀬戸の花嫁』ら、その年のライバルをことごとく抑えてレコード大賞を受賞。レコード大賞受賞時の圧巻のステージは伝説として語り継がれている。
その『喝采』が、1995年にリリースされた黃乙玲(ホァン・イーリン)さんのアルバム『紅の演歌1:可恨的愛人( 紅の演歌1:憎たらしいあなた)』に、『傷心的車站(傷心の駅)』のタイトルで台湾語でカバーされて収録された。歌詞は原曲の「舞台で喝采を浴びながら恋人の死を隠して歌う歌手」という設定から大きく変わり、「恋人に去られた女性が駅で孤独と別れの悲しみを噛みしめる物語」になっている。 駅は「出会いと別れの象徴」として、日本でも台湾でも歌謡曲の定番の舞台。哀しく切ない旋律と、汽笛のように伸びやかな黃乙玲の声が重なり、地方出身者の旅立ち・失恋の情景を鮮やかに浮かび上がらせている。
ではここで、ちあきなおみさんの『喝采』の台湾語カバー曲で、黃乙玲(ホァン・イーリン)さんが歌った『傷心的車站(傷心の駅)』をOA。
<第2セクション:『北国の春』は南国の『榕樹下(ガジュマルの下で)』に>
続いてご紹介するのは『北国の春』とその北京語のカバー曲『榕樹下(ガジュマルの下で)』。原曲の『北国の春』は、1977年に千昌夫さんがリリースした楽曲で、作詞はいではくさん、作曲は遠藤実さんが手掛けた昭和演歌の名曲。雪深い日本の北国の風景を背景に、人生の哀歓や郷愁、季節の移ろいを描いた歌詞が特徴。歌詞には「こぶし」「山吹」など日本の遅い春を代表する植物や「雪解け」という象徴的なモチーフが用いられ、北国特有の厳しい自然の中に生きる人々の繊細な感情が映し出されている。
オリコンシングルチャートでは、100位以内初登場から通算92週目にしてようやくミリオンセラー達成。遅咲きの超ロングセラーを記録したこの曲は、最終的に300万枚を売り上げた。また、ロングセラーの強みを生かし、この曲で千昌夫さんは1977〜1979年の3年連続で紅白歌合戦にも出演している。
タイトルにもある「北国」がどこを指しているか、具体的な地名は歌詞の中には登場しないが、作詞者のいではくさんが後に自身の故郷である長野県・信州の情景を描いたと語っている一方、作曲者の遠藤実さんは、いではくさんの詞をもとに自身が少年時代を過ごした疎開先の新潟県・越後をイメージして作曲したという。私はずっと千昌夫さんの故郷の岩手県をイメージして聴いていたので、このエピソードを知った時には少々意外だった。
この楽曲は台湾では、さまざまな歌手によるさまざまなバージョンでカバーされた。ざっと数えただけでも、文夏さんの『北國之春』(台湾語)、葉啓田さんの『晴空萬里(晴れ渡る空)』(台湾語)、蔡秋鳳さんの『懷念的春天(懐かしい春)』(台湾語)、洪栄宏さんの『思鄉的人(故郷を思う人)』、謝莉婷さん&林慶宗さんの『深深的愛(深い愛)』(台湾語)、テレサ・テンさんの『我和你(私とあなた)』(北京語)、余天さんの『榕樹下(ガジュマルの下で)』(北京語)などがある。もう、百花繚乱という感じで、中国や香港やマレーシアなどでカバーされたバージョンも含めると、華語のバージョンだけでも20種類は下らないだろう。それだけこの楽曲は台湾人をはじめ、華語圏の人々の心に刺さったと言える。
これらのカバー曲の中で、台湾で最もよく歌われているバージョンは余天さんの『榕樹下』ではないだろうか。私もそれぞれのバージョンの歌詞を見比べてみたのだが、台湾人にとって馴染みのない日本の北国の春の風物詩である「こぶしの花」や「山吹」といった植物よりも、ここは一気に振り切って親近感が湧く「榕樹(ガジュマル)」にしたのが、このバージョンの肝だろう。歌詞としても一番練れていると思ったら、作詞家はテレサ・テンさんの『時の流れに身をまかせ』の北京語版『我只在乎你』の慎芝さんだった。以前、『我只在乎你』の歌詞が翻訳の詞として最も完成していると私は述べたことがあるが、なるほどと合点がいった。
『榕樹下(ガジュマルの下で)』の1番の歌詞の和訳は以下の通りである。「道ばたの一本のガジュマルの木 そこは私が懐かしく思う場所 澄みわたる青空 涼やかな風 そして人を酔わせる青草の香り 君と一緒に曲がりくねった小道を抜け 恋人の丘で沈みゆく陽を眺めた 夕焼けが君の頬を染め 尽きることのない愛の言葉をささやいた ああ――君は覚えているだろうか あのガジュマルの木を あの青草の香りを 思い出してくれるだろうか」
ところで、ここに面白い数字がある。2010年に台湾の「テレサ・テン文化教育基金」が行ったテレサさんの曲のインターネット人気投票において、総得票数の49%(約982万票)を獲得して『我和你(北国の春)』が1位となったそうだ(2位『我只在乎妳(時の流れに身をまかせ)』約95万票、3位『月亮代表我的心(月は我が心)』約91万票)。『北国の春』が、この南国台湾でもこれほど強い支持を得ていたことは、ちょっと意外でもあったが、東北生まれの私としては何とも嬉しくもあった。
では、ここで『北国の春』の北京語版で余天さんが歌った『榕樹下(ガジュマルの下で)』をお聴きいただきたい。
<第3セクション:『酒よ』はデュエット曲の定番『傷心酒店』に>
本日最後に紹介するのは1988年に発売された吉幾三さんの代表曲『酒よ』。この楽曲は作詞・作曲ともにご本人で、演歌らしい哀愁をたたえつつも、シンガーソングライター吉幾三さんならではの独特の感覚が光る作品。歌の主人公は、かつて愛した女性に去られ、孤独と後悔を胸に夜ごと酒をあおる男性。印象的なのは、酒そのものを擬人化して語りかける歌詞表現。酒を「友」として慰めを求める一方で、忘れたいのに忘れられない矛盾した感情が滲み出ており、日本的な情念と演歌的美学が凝縮されている。スローバラードの流れるような旋律に吉幾三さんの力強くも哀愁を帯びた歌声が乗り、聴く者の心を揺さぶる。
この曲はオリコンチャートでも大ヒットを記録し、吉幾三さんの歌手人生を決定づける代表曲となった。1988年の日本有線放送大賞グランプリを受賞し、1988年と1993年にこの曲で紅白歌合戦出場も果たしている。この『酒よ』は『雪国』に次ぐヒット曲と言われており、『俺はぜったい!プレスリー』『俺ら東京さいぐだ』といったデビュー以来のコミック・ソング路線を完全に払拭し、演歌歌手&シンガーソングライターとしての地位を確立した曲と言って良い。以降、カラオケでも長年愛唱され、酒場やスナックなどで歌われる定番曲として根強い人気を持ち続けている。
そして、この曲を台湾でカバーしヒットしたのが、1993年にリリースされ、「台語歌后(台湾語クイーン歌手)」江蕙さんと当時はまだ新人歌手だった施文彬さんの歌ったデュエット曲『傷心酒店(傷心酒場)』だ。台湾では有名になった歌手が後輩の新人歌手を引っ張り上げる目的で、このようにデュエット曲を歌うケースがたびたびある。施文彬さんにとってはこの曲がデビュー2作目だった。姉御の江蕙さんに見込まれてデュエットの実現となった。
江蕙さんについては、これまでもたびたび紹介してきたが、台湾の奥座敷の温泉地・北投の「流し」の出身の彼女は、その圧倒的な歌唱力と表現力で台湾語ポップス歌謡を牽引してきた人物。「二姐(二番めのお姉さん)」の愛称で親しまれた。体調を崩したことから2015年に芸能界引退をし、十年近く表舞台から遠ざかっていたが、昨年台北ドームのイベントで復活した。
一方、施文彬さんは両親とも外省人で、母親のお腹にいる時に飛行機事故で父親を亡くした彼が、苦労してここまで流暢な台湾語を身につけたことには驚く。それだけではない。その後も金曲奨の台湾語関係部門のノミネート常連となり、2007年にはついに金曲奨の最優秀台湾語男性歌手賞を獲得しているのは、もはや天晴れと言うしかない。本日のお別れの曲は江蕙さんと施文彬さんの歌で『酒よ』の台湾語カバー曲『傷心酒店』。