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台湾ミニ百科 - 2025-12-03-【花蓮県豊田移民村/「花蓮─仁川」直行便が就航】

皆さんは、「台湾東部・花蓮県」と聞くとどんなイメージを思い浮かべますか?「雄大な自然」?「のんびりとした町の雰囲気」?

偶然にも私の名前も漢字は違えど「かれん」ですし、私の苗字「豊田」とそっくりそのまま同じ名前の村「豊田村」が日本統治時代にあったことから、私は「花蓮県」にとても縁を感じます。

豊田村は正式には「豊田移民村」といい、現在の花蓮県北部にある寿豊郷(漢字の説明要)に位置しています。日本が台湾を植民地として統治するため北部・台北市に設置した最高機関「台湾総督府」が1913年に設置した官営の移民村です。日本統治時代における台湾への官営移民村設置は、日本の勢力が拡大し、台湾の人々や土地への圧力があったことが伺えます。

ではなぜ、当時すでに発展していた南部・台南ではなく東部の花蓮に官営の移民村を設置したのでしょうか?こんな一説があるのでご紹介します。

始まりは明治41年(1908年)に遡ります。当時日本通信局の局長を務めていた鹿木子小五郎という人物が台湾東部を視察した際、ある日本人の移民農家が、農園に小さな鳥居を建て赤と白の旗を掲げて神社を模していたのを見たそう。この日本人農家の日本を強く想う姿に深く心を打たれた小五郎はその後、「台湾総督府」に対し、日本人が台湾を真に自らの領土として認識し、進んで移住するためには、「完全に日本化された移民村」を造り、台湾でも日本と同じような生活ができるようにすべきだと提言。つまり、神社、道路、生活習慣に至るまで、すべてを日本式に整える必要があると言ったのです。総督府はこの提案を受け入れ、官営の移民村政策に着手しました。台湾東部と西部を比較した結果、東部は人口が少なく土地がまとまっており、漢人による開発の歴史が浅く、社会構造や家族構造も西部ほど固定化されていないことが判明。こうした理由から、東部は新たな日本人集落の建設に適しているとされ、移民村の設置が決定されたのです。

その第1団として、豊田村のほか、現在の花蓮県吉安郷に存在した吉野村(よしのむら)、そして現在の花蓮県鳳林鎮に存在した林田村(はやしだむら)の3つの移民村が建設されました。

ちなみに、豊田村、吉野村、林田村はそれぞれ、日本人の苗字でもよく見られる名前です。この名前になった由来として、豊田村は、当時日本政府は、この地が肥沃な土地と豊かな水資源を備えているにもかかわらず、なぜ人が住んでいないのか理解できなかったことから、「豊かな田んぼのある村」「豊田村」と命名。吉野村は、日本統治時代初期に移民した日本人の大半が徳島県吉野川流域の出身であったことにちなみます。そして、林田村は当時、一帯に広大な林が広がり、水田耕作に適した土地があったため、「林」に「田んぼのた」がつく名前が付けられたとされています。

台湾総督府により日本統治時代の台湾東部で行われた移民村政策は、花蓮県の他の地域や花蓮県の南に位置する台東県一帯でも行われ、合計十箇所あまり設置されました。

花蓮県の移民村は1911年から1924年にかけて建設され、中でも、現在の寿豊郷に位置する豊田村は、現在でも比較的保存状態の良い場所です。碁盤の目状の道路、和風民家、菸楼(タバコ乾燥小屋)、鳥居が残るほか、豊田小学校(現在の豊裡小学校)の講堂、豊田神社(現在の碧蓮寺)といった日本統治時代の歴史の跡が街中で見られます。また、豊田村時代の警察派出所が改築され、「寿豊郷文史館」として整備されました。館内では、昔の写真や当時の住民の物語など現地の歴史史料や、当時よく使われていた農業・生活道具を展示し、地元の歴史を現代に伝えています。同館は2011年に「寿豊郷客家生活館」に改名され、歴史と人文、創作、客家文化が一体になった歴史文化施設となっています。

実は私以前、北部・台北市から昔の豊田村の歴史の足跡が残る寿豊郷に行ったことがあります!今でも田んぼが広がったのどかな場所でしたが、「寿豊郷客家生活館」の前には「豊田移民村」と書かれた石碑があり、そこには当時の村の各施設の場所と名前が記された地図もあり、沢山の「豊田」がついた施設、例えば「豊田派出所」、「豊田文化市場」が実際に存在していたことを確かめることができました。

台湾との繋がりをより身近に感じられたとても良い思い出です。

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ここからは、先月13日に、花蓮県から韓国最大の空港である仁川(インチョン)国際空港まで直行便が就航した話題をお届けします!

韓国の格安航空会社(LCC)「エアロK航空(: Aero K)」が運航する「花蓮─仁川」路線は現在、毎週木曜・日曜に各1便ずつ運行され、仁川から片道約2時間40分で花蓮へ直行できます。実は花蓮と韓国の間の直行便は過去にも運航されていましたが、新型コロナウイルスの影響で運休していました。

花蓮県観光処の余明勲・処長によると、近年韓国から台湾への旅行者数は急速に増加しており、日本から台湾という日本市場を上回る勢いなんだそう。花蓮空港は有名な観光地である太魯閣国家公園に近く外国人利用者が多い上、太魯閣国家公園は、地震による復旧作業を経て、今年の夏から順次再開しており、直行便の就航は今が絶好の時期です。余・観光処長は今後の増便の可能性もあると話しています。

ちなみに、花蓮空港までの直行便は台湾国内だと台北、中部・台中、南部・高雄から、海外からだと今回ご紹介した便と香港からの便のみとなっており、現時点で日本からは飛んでいません。

花蓮県は日本と深い歴史の繋がりがあります。今後直行便が誕生することで、双方の交流がより活発になれば良いなあと思います。

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